・令和7年4月13日
先週は十一面干手観音像の大開帳が行われました。思った以上に全国から多<の方が参拝に見えられ、大変な2日間であったと思われます。皆さんのご尽力で無事に終えられたことをありがたく思います。
当日は天台宗の滋賀教区の宗務所長がおいでになる予定でしたが、事情により来られなくなりました。この期間中天台宗延暦寺では、4月4日より7日間21箇座にわたり厳修される「御修法(みしほ)」が毎年行われ、17名の高僧に選抜され出仕されることになり、残念ながらお祝いのお言葉を読み上げさせていただきました。
さて、「御修法(みしほ)」とは、延暦寺の年中行事のなかでも最も重要な法儀であり、古来の伝統に従って厳修される天台密教最高の秘法です。天皇陛下の使者「勅使」からもたらされ、国家国民の象徴である御衣を堂内に納め、お祈りをします。4種の天台密教の秘法のうち1種類を年ごとに順番に実施します。今年は、寿命に添って健康で長生きをすることを祈る「普賢延命大法」が営まれ、1日3回、国家の安泰や国民の安穏を祈り続けられます。
普賢延命菩薩は、密教の菩薩で一般の普賢菩薩とは少しお姿が違い、手が二本の場合、また手が十本ある場合があり、象の背中に乗っておられます。象の顔は正面と左右の三つあり、三つの顔で世界中をしっかり見つめているというお姿になっています。
普賢菩薩は嶺南寺にもお祀りをしていますので、研修でお越しの時にはぜひ手を含わしていただきたいと思います。
・4月5日・6日の大開帳斎行への住職からのお礼
(閉帳法要の後、最後の参拝者と実行委員会関係者を前にして)
――前略――
この二日間の行事をやるに当たりまして深川区の皆さん、また観音講の現講員・OBの皆さん、実行委員会として様々な準備をしていただきました。私住職として本日は偉そうな顔をしていますが、準備に当たっては実行委員の皆さんが懇切丁寧に準備をしていただいたお陰で、この二日間このような大きな御開帳の行事が行えたこと心より感謝いたしたいと思っております。
またこの二日間に、当初は深川区の皆さんに是非お詣りいただきたいとのことで準備をして来た訳ですけど、蓋を開けてみると全国からたくさんの方が見えられました。二日間で2000名近い拝観者ということで大変すばらしいことをお陰で成し遂げられたと思います。
本当に皆さまに感謝申し上げるとともに、このご勝縁に参拝いただいて十一面千手観音様と御縁を結んでいただいた方々、これからご多幸があるように、また私自身お勤めさせていただきます。
これから皆様日常に戻ると、いろんな大変な事・辛い事があると思いますが、この観音様の姿を思い浮かべて日々送っていただければと思います。もし忘れそうになったら、また十六年後か十七年後の中開帳の際にはまたお詣りに来ていただければと思います。
どうもありがとうございました。
・令和7年2月16日
本日は【お供え】という物がどういったものなのか、という事についてお話ししたいと思います。
先日、【お供え】について尋ねられた事がありまして、お答えした事が御座いました。
法事などの時に【お供え】をする際にお供え物や金封に名前を書きますが、どちら向きにお供えすれば良いのか、という事でありました。お仏壇に【お供え】する時は、自分から読める向きにお供えするのが基本的な決まりです。宗派やお寺さんによってルールが違ってくることも有りますが、一般的には自分から読める様に、お供えいただければと思います。
ここの本堂の常花は金箔が施されていますが、木で作ったお花【木花】
お寺さんによっては木製の生地のままであったり、蓮の花ですので緑やピンクに塗装されている物も御座います。基本的には木製の【木花】ですから、その日に取ってきた【生花】の代わりにお供えをしているという事です。ここにお供えしている物は【五具足】と言って中央に香炉、その両脇にロウソク立と花立を1対ずつ祀る形式です。それぞれを1対ずつ祀る形式を【三具足】と言います。
また、色々なお供え物を入れるときに使う【三宝】ですが、【折敷】と呼ばれる盆に台を付けたもので、三方向に【刳り型】の穴が空いている事から三方・三宝(さんぼう・さんぽう)と呼ばれています。
穴の開いていない方を仏さんに向けるのが正しい供え方です。
仏の教え従って修行をする者【仏法僧】の三宝にも由来するとされています。
今の時期湖北の方では【仏法僧】という名前の花が咲いている、というニュースも耳にしますが。
お花なんかも仏様側からでは無く、お参り頂く皆さんからよく見える様に仏さんの周りを飾る【荘厳】(しょうごん)と言いますが、仏さんの国【浄仏国土】(じょうぶっこくど)の様に煌びやかに仏さんの周りを飾るという意味があって、その仏さんの国をここで表現をして、それをお参りに来た人達が感じて、そして『有り難いな』という風に思って頂く。その為に自分たちから良く見える様にお供えいただくのが基本となっているという事です。
・令和7年1月25日
本日は、よくお参りいただきましてありがとうございます。
大般若転読会ということで、昨年から私の方でお勤めをさせていただいております。 大般若転読会と言いますと、本来であれば、もっと多くのお坊さんが集まってみんなで、今私がやったような形で一巻一巻お経を転読と言って、実際には中身を読んでいる分けでは無くて、転読文を唱えながら、そのような所作をやっているわけですが、まあ大きなお寺さんだとこれが十二人位。まあ十二人の坊さんで、今日こちらの経箱と書かれた箱で50巻入っていますが、50巻入っている箱が12ありまして、それで全部で600巻になっております。
十二人のお坊さんが一人一箱担当すれば一人50巻をやることで大般若経600巻転読することができる。大きなお寺さんでは、また中にはもう少し少ないお寺さんでは全部の経典を転読するということができます。そのような意味では、本来私が600巻すべてを転読すれば済む話ではありますが、そうしますと朝から晩までかかってしまします。また皆さんも大変だと思いますので、今日は30巻で済ませていただきました。
このような形で大般若経を転読することで600巻長い長い経典ですがその功徳を頂くことができる。浄福寺でもそうですが年の初めまたは年の半ばぐらいと言う節目節目の時期に大般若転読会を執り行いまして一年無事 息災天命を ーーーー 中略 ーーーー
大般若経と言いますと、まあ、先程から申しましていますように600巻。今日出しましたその一つ二つのお経が600巻あるということで、中にお経が、すべて1巻から600巻までお経が書いております。すべてを通すとお釈迦様が説かれた大乗と言うものが書かれています。お釈迦様が悟りを得てから、まあ最後に亡くなるまで、いわゆる涅槃の日までの間に まあ40年ほど月日がありまして、お釈迦様はまず悟りを得られてからすぐに、自分と一緒に修行した修行者たちに向かって自分の悟りを全て解き明かします。もう短い時間ですべて分かったものの信義をすべて解き明かしたわけだから、あまりにも難解すぎて就いてこれる人がほとんど居なかった。
この難解過ぎたと言うお経が華厳経と言う教え。あまりに難しいことを言ってるから。就いていけない人はお釈迦様から離れて。ということで。それでゆっくりじっくり、まずは兆乗の教え。兆乗の教えというのは、自分自身が悟りを得ようとする。という教えをまあ静かなところで、鹿が鳴くような静かな所と言うことで鹿苑寺といいますが、その時に説かれたのは阿含経と言う。そしてこの阿含経を説かれた後に今度は方等経。方向の方に等しいと書くのですが方等経という教え。
これは兆乗の教え、自分自身が悟り救うという教えが本質では無くて、本来は自分自身だけで無くて、周りの人たちみんなも導いていく大乗の教えというものがあるんだよという風に話をつなげていくのが方等経。今度は大乗の教えについて、長い時間 22年間をかけて。大乗の教えの本質というものを法華経、そして最後に涅槃経。亡くなるということで。今日で。多くの人たち、他人について、そしてそこでもまあ、もう少し悟りに届かなかった人たちを最後まで発表で。天台宗ではこのさまざまなお経がある中で、一番仏さんが伝える法華経「南無妙法蓮華経」ですね。これが一番大事だけども、やはりその大般若経600巻の中でもその中心になるの、まあ考え方。ここが書かれたのが般若心経。ですからこの観音講では観音経法華経の中の観音経と言う、そして般若心経。また、本年も皆様方が息災で、また良い一年が迎えられますよう改めてご祈念申し上げまして、本日お詣りいただきましてありがとうございます。
風邪・インフルエンザの信徒の咳で内容が聞き取り不明瞭な点があります
・令和7年1月17日
本日は1月17日ということで、毎年この【行い】の日程は決まっているという事です。
今日は朝から阪神淡路大震災から30年ということが、テレビ放送等で流れておりました。
30年前の1月17日の朝5時46分。私は和歌山県の那智勝浦町に在る那智山青岸渡寺に居りました。
西国33か所の霊場巡りの巡礼地として最初のお寺になります関係で、朝5時に開門となります。
朝4時台には起き、朝のお勤めを済ませて、5時には開門をするという習のなかで、30年前のあの時間、私は護摩壇の準備をしておりました、2メートル程に積み上げられた護摩木がグラグラと揺れまして、私の方に崩れ落ちるかと恐怖を感じました。和歌山県ですので震度5いくかいかないかぐらいかと思うのですが、なかなかその情報が出てこない中でお昼過ぎに神戸が凄く大変な事になっていると知りました。
私の両親が那智山に来て居りまして。その前の週に神戸からフェリーで大分の富貴に帰郷しましたが、そのフェリーが戻る港が神戸には無くなってしまったという状況でしたが、運良く被災は免れました。
前年、お坊さんを目指そうと思い立った頃の事でございます。比叡山の行院という所で行を受けまして、那智山で少し経験を積ませて頂いて。そしてその年の春から比叡山の叡山学院に入学をさせて頂いて、今のお坊さんとしての私が在る訳で御座います。
そういった一つの人生の大きな節目にこういった経験があったのかなと思います。
この1月17日というのは観音講の皆様にとっては本当に大きな【日変り】と申しましょうか。
そういう時期になって来るのかなと思っております。
私は昨年の4月に住職になったばかりですので、今回初めて【行い】の導師を務めさせて頂きました。
今日は住職として皆様と共に、1日過ごさせて頂きたく存じます。有難う御座いました。
・令和7年正月
皆様明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。早いものであっという間に令和6年度も過ぎて、いよいよ令和7年度ということですが、私自身思い返してみると、ちょうど1年前の正月確か天気が良かったと思いますが、だったなと午前中今年は良い年になるかなと思い皆さんとあいさつを交わしていました。まあ蓋を開けてみると夕方大きな地震が来て・・・令和6年という年は復興というのが大きな年だった。
今年は昨年と比べると少し雨模様ということで、天候は去年のほうが良かったかなと思うところはありますが、また一年始まったなあと、これから良い年になるように、地震とか天災については、こればっかりはなかなか思うようにはいかないのですが、やはり自分たちで出来るところはできる良い年にしていきたいと思うのが大切だと思います。
一年をよく送ろうと思ったら当然自分が気持ちよく送れるのが一番良いのですが、自分が気持ちよく一年を送ろうと思ったら、やはり周りの人たちも気持ちのいい一年を送ってもらうのが一番。
そしたら周りの人たちに気持ちの良い一年を送ってもらおうために、まずは自分が出来る事をやっていく事が一つの方法です。そのような中で一年の始り、今年は特に三十三年に一回度の大開帳
の年ということになります。残すところ三か月ちょっとのところで大開帳になります。観音講員・OBの皆さんに色々と準備や大変なことを、まだまだ行っていただくことになりますが、このようなことも含めて無事に送っていただくこと思います。
また今年一年宜しくお願い致します。
・令和6年12月8日
昨日、故出口住職の新しい位牌の開眼供養をさせてもらいました。
12月といいますと師走という事で。師走の由来というのは、師とはお坊さんのことで。12月はお坊さんが走り回るという風な事があって師走と言われているのですが。昔は農家があまり仕事の無いこの時期に色々な法務をやっていたという関係で、12月というのはお坊さんにとっては忙しい、そういう時期だったのかなと思います。
今日は12月8日ですが、12月8日というと、仏教では非常に重要な日になっております。どういう日かと言うと【成道会】という風に呼んでおります。4月8日の【花まつり】、そして12月8日の【成道会】、そして2月8日が【涅槃会】という事で、これらは全てお釈迦様の一生の節目になっておりまして。4月8日の【花まつり】はお釈迦様がお生まれになった日。2月8日の【涅槃会】はお釈迦様がお亡くなりになった日、そして12月8日、今日はお釈迦様が悟りを開いたといわれる日でございます。
私達がお釈迦様と呼んでいるのは実はお名前ではなくて、インドの釈迦族の皇子だった方が悟りを開いて、後の世の人々がお釈迦様と呼んでいるのです。私達が今、仏教の教えとはこうですよと、述べさせて頂いている訳ですが、この悟りを開くきっかけとなった出来事、それは釈迦族のお城から外へ出る時、お城には四つの門が在って。東の門を出ました所に老人が居た。人間はやがて老いて行くのだなとお釈迦様は知った。
そして次の日に南の門を出ました所に病気の人がいらっしゃった。人は病気になると体が不自由になってしまうのだなと。そして次の日に西の門から出たら葬儀をやっている人に出くわした。人はやがて亡くなるのだなと。そして四日目に北の門から出たら修行者が居た。そしてお釈迦様はこの世の苦しみというものを先ず知ることに成って、自分も修行してこの苦しみから脱する方法を探そうと思い立たれたという事で御座います。
苦しみというのは、お釈迦様が言われるには四苦八苦。四苦とは【生老病死】。そして八苦というのは
【愛別離苦】愛する者と別れる苦。【怨憎会苦】恨み憎まなければならないものと会う苦。【求不得苦】求めて得られない苦。【五蘊盛苦】総じて人間の活動による苦。この四苦に先の【生老病死】の四つを足して八苦。私達は生まれてから初めて苦しみという事を知る。この八苦を持って生まれた私達はどうやってこの苦しみから脱する事が出来るのか。という事で、お釈迦様は修行の旅に出られる訳のですが、6年間の苦行を終えても、こんな事では悟りは得られないと知り、苦行を絶って尼蓮禅河という川で沐浴をします。
長い苦行で体が弱っていたお釈迦様は、岸辺で倒れてしまいますが、村娘のスジャータに乳粥を飲ませてもらい体力回復の後、菩提樹の木の下で一週間の座禅を組み、そこで初めて悟りを得たという事で御座います。
ここで得た悟りをお弟子さん達や一般の人々にも広めていった結果、今の仏教というのが成り立っているんだという事で御座います。この悟りを得た日というのがこの12月8日【成道会】という事で私達仏教徒にとっては大切にする日となっております。 今日も有難う御座いました。
・令和6年11月16日
早くも11月という事で、あとひと月半で令和6年も終わってまいります。この11月はと言いますと、天台宗では大きな年間行事がありまして、【天台会】とか【霜月絵】いう風に呼ぶのですが、これは高祖天台智者大師という方、中国の智顗というお坊さんのことですけれども。中国で【妙法蓮華経】を根本経典として、中国の天台山というお山で一つの宗派を開かれた、と言いますか教えを説かれて。その後の方々が中国天台宗という形にされたのですが。その中国天台宗の開祖である天台大師智顗という方の毎年の法要いわゆる法事ですね。これが【天台会】とか【霜月絵】という風な形で、天台宗では全国の寺院で営んでおりまして。また先週は甲南部の部内会(檀信徒役員の総会)というものが、油日神社の脇に在ります善応寺というお寺さんで営まれました。
毎年一回この(総代会)というものをやっているのですが、秋にこの(総代会)をやるというのが、この11月【天台会】【霜月絵】に丁度、時期を合わせて(総代会)をやって、そして皆でこの天台大師の法事をやっているという感じなのですが。天台大師といわれる方は、西暦538年~597年、丁度60歳で亡くなられるのですが、その間中国の皇帝とかに色々な教えを説かれる訳なんですね。中国では仏教が一番盛んに信仰された時期というのが、500年から600年というところで、それから後はモンゴル等、色々な外部勢力が押し寄せ段々とこの仏教が廃れてゆく訳ですが、この天台大師の時代は中国でも仏教が盛んだった。そして天台大師という方はこの【法華経】を根本の経典に据えた。
その時どういう理由で【法華経】が一番根本の経典なのかということを【五時】という風な事で、五つの時間というのは、お釈迦様が悟りを得られてから五つの段階に分けられた訳です。お釈迦様は悟りを得られて、【華厳経】というお経を説かれます。【華厳経】というのは、お釈迦様の悟りそのもののお経ですが、お釈迦様と同じ様な修業を積んだ人でないと中々理解できないという事で、お釈迦様が最初に説かれた【華厳経】は付き従っていたお弟子さん達にも中々理解できなかった。一部の人は理解して悟りを得るのですが、大勢の人たちはお釈迦様には付いて行けないという事となり、そしてお釈迦様は基礎からやって行くという事で、【五時】の中では【鹿苑時】鹿苑というのは鹿の鳴く園、閑静な山の中で改めて自分の悟りを基礎から説き始めた。これはあくまで悟りを得る為だけの教えという事で【小乗】の教えという事なのですが【鹿苑時】から次に【方等時】少しここから【大乗】ですね。悟りを得た自分だけじゃなくて、皆で悟りを目指して行くのだという【大乗】の教えを混ぜて話をしだした。その次に【般若時】という事で、最後に般若心経を唱えましたが般若経というのは大般若経ですね。いつも1月に出してきてやってます、600巻もあるあの大般若経、こういった事をこの【般若時】というところで教えられた。これも【大乗】の教え。600巻全て理解するのは難しいというところで次の段階で【法華涅槃時】。【法華経】として【涅槃経】という事を説かれた。そしてこの【法華涅槃時】が五つ目に来るという事で、お釈迦様の教えの集大成という事で、この天台大師はこの【法華経】というのが根本のお経であると。【涅槃経】というのはお釈迦様が亡くなる前に時間の短い中で説かれたという事なので、やはり皆が一番理解しやすい、そして【大乗】の教えについて良く説かれているのだというのがこの【法華経】なんだと言われたのがこの天台大師だという事です。
【五時】という風に分けると中々意味が難しいのですけれども、最近のレコーダーやスマホの様に、解る人には解るが解らない人には解らない。お釈迦様の説かれた【華厳経】の様なものなのかなぁという風に思いますが。やはりこれは分かりやすく説かないと、ちゃんと皆が理解してくれないと機能しない。どういったものなのか段階を踏んで行ったというのが【五時】の中で段々と自分だけでは無くて、自分の周りのお弟子さん、そういった人達がみんな悟りを得て、この世界が仏さんの世界になる様にという事で、教えを説かれて行ったんだという事で御座います。
天台大師のこの【五時】という考え方【五時教判】とも言うのですけれども。【五時教判】と【法華経】を大事にして天台山という修行の山を築かれたこれが後々聖徳太子の時代になって【法華経】という素晴らしい経典が在ってこれを日本の国造りに役立てて行かなければならない。という風にしてその後、伝教大師という方が比叡山で日本の天台宗というものを開かれた。そして今に繋がっているのだという事であります。
・令和6年10月20日
今年は10月に入っても暑い日が続きまして、大抵は夏服から冬服に代わる時期というのはだいたいこの10月1日をもって基本的にはなります。私達お坊さんは暑かろうが寒かろうが毎年大体そういう風にやっているのが今年に限っては10月の中頃までこの夏衣のままで行こうと申し合わせがありました。大変珍しい事ですけれど、というのもまあ10月に入ってもまだ真夏日、またはそれを超える日が続いていたというのが一番大きな原因では有りますが、気候変動が大きな要因なのかなと思っておりましたが、ようやく秋らしい日がこれから訪れて来るのかなぁと思っております。
先週の話ですけれども湖南市の湖南三山という三つの大きなお寺があります。元々は少し北の方に湖東三山がありまして、これらは全て天台宗のお寺ですけれどもそれに倣い旧甲西町と石部町の三ヶ寺(長寿寺、常楽寺、善水寺)が併せて湖南三山という事で、これから紅葉が始まるとそれぞれのお寺も賑わってくるのかなと思っているのですが、そのうちの1ヶ寺の長寿寺さんで先週、【授戒会】というのをやってまいりました。天台宗の行事という事で私もそこに立ち会わせて頂いたのですけれども【授戒会】というのはどういう事をやるのかと言いますと、丁度今、竜法師の浄土宗金龍院で五重相伝を行っていましたが、10月12日から15日まで。仕事もある中、檀信徒さんも受け入れる寺も大変な行事だなと思っておりますが、それの天台宗版という事ですが、天台宗はそこまで長い行事は含まれて居りません。
五重相伝のほんの入り口の様な形のものをやっております。どういう事をやるのかと言うと【授戒会】という事で【戒を授かる】というのがひとつの大きな目的になります。【戒を授かる】という事は自らに戒めを課すという事ですね どういう戒めかというと「酒を飲みません」とか「噓をつきません」とかで、そこで自らに戒めを課すという事ですね。そう言った一つの機会が【授戒会】になる、それは何かというと仏様と大きな【縁】を結ぶという機会になっております。天台宗の修行【六波羅蜜】と言うのですけれども【六波羅蜜】の一番最初の段階が【持戒波羅蜜】戒を保つという事になるんですが、自らに戒めを課すという事は仏様とのお約束という事です。
仏様と言ってもこの本堂におられる仏様もそうなんですけれども、自らの心の中に在る仏様との【約束】【誓い】といったものがこの【持戒波羅蜜】戒を自ら保つ、とは言っても私達暮らしておりましたらこの後すぐ【一献】を頂戴いたします。お酒を飲んでしまいますね。こういった事もあり、また噓をつきませんという誓いもあるんですが、でもそれを普段の生活の中での実施できるかというと中々そうもいきません。つきたくない噓もつかなきゃならない時もあるかもしれません。ま、そういった事を日々の生活の中振り返って懺悔をするこの【授戒会】戒を授かる事で一番大事な事は戒を自ら理解する。理解をしたうえでそれを破るという事は後々懺悔に繋がる。
いつも読経の最初に読んでいる懺悔文「我昔所造諸悪行、皆由無始貪瞋癡、従身口意之所生、一切我今皆懺悔」、この懺悔の文を唱えることによって、自ら戒を破った、噓をついた、お酒を飲んだ、人の為にならない事をやってしまった、こういった事を振り返って懺悔をする、という事が自らの戒を保つ【持戒波羅蜜】という事に繋がって来ると思います。【六波羅蜜】という事に関してもまたそれぞれの意味が御座います。
長くなりますので又の機会にお話ししたいと思います。 今日も有難う御座いました。
・令和6年9月8日
お盆の行事も済みまして、また地蔵盆の行事も無事に終わりました。いよいよ9月に入って参りましたが一向に涼しくなったなあとは日中には感じないのですが、やはり朝晩は少し涼しくなってきたのかなあと感じるようになってきました。逆に朝晩が冷えてきますのでそういう意味でお互い気を付けなきゃならないという様な事を先日テレビでも言っていたんですが、まだまだコロナの方もなかなか避け様が無いんですが気には止めておかなければいけないのかなあと思います。
今日は少し戒律の戒という事についてお話をさせて頂こうかなと思います。
持戒正念(じかいしょうねん) という言葉がございまして、持戒とは 戒を持つ 戒を保つと言いましょうか、戒律の戒という物を自分自身が保つ、そして正念というのは正しく念ずるという事だと
持戒正念というのは戒を保つ、そして正しく物事を考えると そういう事になろうかと思います
戒っていったい何なのかなと言いますと 天台宗では授戒というのが有るのですが、これはお坊さんになる為だけではなくて、天台宗の信徒さん信者さんに授戒会というものを受けて頂くという事がございます。
授戒というのは戒を授けるという事で、授戒を受けた方は授かった戒を以降守っていくという事でこの持戒正念というものが必要な心掛けなのですが、天台宗では授戒という風に言っておりますが浄土宗では多分これは
五重相伝と同じ様な意味合いなってくるのかな 皆さん多くの方がもうこの五重相伝を受けられてるのかと思うのですが 私達はお坊さんになる一つ前の段階として、浄土宗でいうと法然上人の教えに従った生活をしていく 私達お坊さんというのはいわゆる出家 皆さんは出家をしておりませんから在家という風になります。
出家というのは【出世間】だから在家というのは【在世間】という風に言い換えられるんでしょうか
ま、いわゆる一般の人々の暮らしの中にあるのが在家であり この出家というのはそこから一歩出て仏さんになる暮らしをしていくんだというのが出家であろうかなと思います。
五重相伝というのはいわゆる在家の方々が受けるものでありますから一般の社会の中にあってなお且つその中でお坊さんになるそういった心掛けに改めていく というこの持戒正念という生活が五重相伝を受けられた方々には寄り添って来るかなという風に思います。戒を保つというのはどういう事なのかと言うと
三聚浄戒(さんじゅじょうかい)という言葉がございまして三つの戒を保つ方法
こういう風にやりなさいといったものがありまして
一つ目が摂律儀戒(しょうりっぎかい) と言いまして 戒律 悪いことをしては駄目ですよという教え戒を守ることを心掛けなさいという事
二つ目が摂善法戒(しょうぜんぼうかい) これは良いことをしなさい そして
三つめが摂衆生戒(しょうしゅじょうかい) これは世の為人の為になる事を行おうと決心する事
これらが持戒正念という事に繋がってまいります
坊さんになるという事は仏さんになる為の悟りを得る為の色んな修業を積んでいく事が大前提になっているという風に思いがちなのですけれども、普段の生活の中での心掛けというのがやはり一番大事な事で
その心掛けによって、いつも暮らしている中で自分自身の仏さんの種、仏種と言うのですけれども
仏さんの種を育てていってやがて自分自身が仏さんになるのだよというのが まあ仏教の本来の教えであります 言うは簡単で中々これ実践は難しいんですが 戒を保つというのは よく言うんですが戒を知らずに生活をしている 戒を知っいて生活をして今日は戒を守れませんでした という事を常に心掛け
そして今日1日の反省の中で懺悔文(さんげもん) ですね
我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋癡、従身口意之所生、一切我今皆懺悔、この言葉を寝る前に呟いていただく、今日も仏さんの教えの通りの生活は出来ませんでしたが この戒を私は保つことによっていずれ仏さんになる為の歩みを止めずに頑張って参ります と、そういった心掛けをくり返して行くというのが必要じゃないかと思います 今日も暖かくなると益々蝉の声が聞こえてまいります 10月になったらもう少し涼しくなるのかなという事を期待しながら頑張ってまいりたいと思います 今日も有難う御座いました。
・令和6年8月17日(観音会式と盆踊り)
本日は8月17日の会式という事でここは西日が照って少し蒸し暑くなってきました中ですがますが、皆様一緒にお勤め観音勤行を挙げていただき有難う御座いました。
8月17日という事で世間一般にお盆というと8月13,14,15で16日の送り火という様な形が
一般的な考え方かと思いますが、8月の間、広い意味でお盆の行事というのはそれぞれの寺によってございます。と言うのもお寺というのが元々互助組織みたいな形で大きな法要をやる際には、周りのお寺から
お坊さん集めてやるという風な事になっております。ここでは私一人でやっておりますがそれぞれの菩提寺等では多くのお坊さんを近隣のお寺から集めてやっているかと思います。
ですから同じ日に全部の寺でやることは出来ませんので、8月早いところは7月からでもいろんな行事
やられているのかと思います。お寺の中でお盆の行事というと施餓鬼会を営むお寺が多くございます。施餓鬼会というのはどういうものかと言うと盂蘭盆会施餓鬼供養法要という形であります。この盂蘭盆というのがいわゆるお盆の事で、お盆の間に施餓鬼に対する供養をするというのが、お寺の行事の一つの大きな節目「施餓鬼に対してなぜ供養をするのか」それはやはり日本の仏教というのが【大乗仏教】大きな船に乗って皆で悟りを目指しましょうよという大きな根本の考え方が在る。
【大乗仏教】だからこそ、ここに居る私達だけではなくて、やはりこの世界に生きる人が、地獄に落とされて餓鬼と成ってしまった人達の為にも一緒にやはり悟りを目指しましょう、という事でこのお盆の期間に御供養をして今、地獄に落とされているそういう生命達も又改めて次の六道。新しい世界に生まれ変わって私達と一緒に悟りの世界を目指しましょう、まあそういう事が日本の仏教の大きな特色である。
やはりこの【大乗仏教】という考え方ですので修行をしているお坊さんだけではなくて、そのお坊さんを色んな面で支えて下さる檀家、信徒、一般の人達、そういった皆で一緒に悟りの世界を目指すというのが根底にあるという事で、この8月のお盆の色んな行事がここから始まっているもので、今日はこのあと盆踊りという事になりますが、盆踊りというのは昔でいうと少し道明のついた時期に、皆で労を労いながら又秋の収穫期を目指すという一つの目的があります。それと同時に今私達が元気にこうやって暮らしていますよと。なんで私達が元気に暮らして行けているかという事は、やはりご先祖様のお陰ですよという事で、この盆踊りをする事でご先祖様を迎えて楽しませるのと同時に私達はこうやって今しっかりとやらせて頂いていますという感謝を伝えると言う、そういう一つの大きな行事なのかなという事で・・
残念ながら最近はいろんな地域でこの盆踊りというのは廃れてきております。私が住職をしております地域でも、もう10何年前くらいから盆踊りは止めて夏祭りという形で行っておりましたが、その夏祭りですらここ数年は再会できていない状態があります。そうような中でこの深川の地域で今年から盛大にやって行こうというのは大変素晴らしい事であり、こういった形でまた色んな地域に通していく事やこの長い長い歴史の中で繰り返されていく事は大変いい事なのかなというふうに感じております。
今日はお盆の色々な行事をこなしてこられて色々とお疲れのところもあると思いますが、今日はこの行事に気合を入れて心を込めて行っていただければと思います
・令和6年7月14日(今にも雨が降りそうな日の勤行)
お疲れ様です。これから太子堂のほうでお勤めをして引き続き柴燈護摩の司法に移らせて頂きますが
柴燈護摩と申しますと屋外で焚く護摩という意味も半分ございます。
護摩というのは内護摩といって屋内で焚く護摩、そして柴燈護摩といって屋外で焚く護摩がありますが、
内護摩というのは基本、これは導師である住職が一人で全ての司法を行います。
柴燈護摩はそれに対し導師、その名の通り導くという意味での導師、そしてそれに従い周りに行者さんという方がいらっしゃって、それぞれの役割があって柴燈護摩とこれを修するという事で御座いますが、どちらも同じなのは火を焚くという事です。
焚くというのはお米を炊くというのと同じ様な意味でどうしても使ってしまうんですが、この護摩で焚く火というのは「知恵の火」頭が良くなる方の知恵と、もっともっと高い意味での「仏様の知恵」の炎という意味がございます。
もっと高い次元での話になりますが、護摩というのはまず行者柴燈護摩でいうと導師であり、それに付き添う行者さんの身にまずは不動明王を降ろす。そして不動明王となってこの「知恵の火」を熾していくというのが護摩の火。そしてここで熾した「知恵の火」にそれぞれ皆さんからあげて頂いた御祈願のお札を投じる事で、御祈願に書かれた煩悩という物をまず焼いて頂いて純粋に願いを仏さんに聞いて頂く。
私たち自身は不動明王になる訳ですから知恵の炎によって届ける。これはこの宇宙の中心である、宇宙自身であるとも言い換えられるんですが、大日如来に皆様の御祈願を届けるというのがこの護摩の司法になってまいります。
ですから炎が上がってまいります。もしかしたら煙がモクモク上がってまいります。
これはすべて不動明王の炎であり煙である。私達はその炎、煙を浴びて、全ての煩悩をここで除くことは出来ませんので幾何かの煩悩は残されると、そういう有り難い心を持って一緒にお参り頂ければとその様に思います。
雨が降らない事を祈りたいのですが、これもまたひとつの煩悩かも知れません。
その様な煩悩を全て払ったところで無事に行えることをお願いしたいと思います
・令和6年5月12日
先月4月14日には正式に兼務住職という形ではありますが、こちらの代表ということに成らせていただきました。その際には講員の皆様、又OBの皆様、又区長様など多くの方々からお祝いの言葉また祝意を賜り大変有り難く存じております。これから身を引き締めて頑張っていきたいと思います。
5月に入りましたのでGWも明けて近所を見てみますと、そろそろ田植えの季節かなあという事で竜法師の私の自坊の周りでも大体半分以上、田植が済んでいるのかなあという事になっております。この田植えに時期になりますといよいよ本当の意味で1年が始まるのかな、そんな気分になってまいります
物事の始まりに【耕す】という事で仏教では【心を耕す】という風にも言います。【心を耕す】というのは心の中の【何か】を育てる為にその下地として先ず心を耕すんだという事でございます。じゃ何を育てるのかというと、仏教では これは仏になる為の教え、仏さんの言葉、そういった色々な意味が有りますが、やはり最終目標というのは自分自身が仏になる 仏の位に昇る 言い方を変えますと【悟りを得る】というのがやっぱり仏教の信仰というものになっているのかな そういう意味で【心を耕す】という事は、自分の心の中の仏さんを育てる為の下地を作るというふうに成っているのかなと思います。
なかなか言葉では言っても実際にどういった事をするのかな 難しいんですが実はこの御経の中、仏教の教えについて端的に表している言葉というのが有ります 御経の般若心経を唱えた最後の所に書いてあるんですけれども 御誓文 「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」 これは七仏通誡偈とも言うんですけれども、七仏というのは七人の仏 七人の仏が同じように唱えていた教えなんだということでお釈迦様よりも過去に現れた悟りを得た仏の方々も同じように伝えてきた
諸悪莫作 悪いことをしなさんなよ 衆善奉行 良いことをしなさいね
自浄其意 自らの心を清く保ちなさい 是諸仏教 これが仏の教えである
というふうに端的に表しており、最近はあまり聞かないですが 一日一善とかそういうことが仏教にとって一番根本となる 悟りを得ると言ってもまずは悪事をしない 良いことをする 自分にとって良いことばかりをしていても他人にとっては悪いことかもしれない やはりこれは他人にとっていい事は翻れば自分にとってもいい事、ただ自分にとっていい事は必ずしも他人にとって良い事とは限りません 人にとっていい事 それを務めることが自分の心を耕すという事になるかなという様に思います。
この時期になりましてまず私自身も心機一転頑張っていきたいと思いますのでこの【心を清く保つ】ということを心にとめて日々励んで頂けたらと思います どうも有難う御座います
・令和6年4月14日
4月は心機一転ということで、私も4月4日からこちら浄福寺の兼務住職に天台宗から辞令を頂きまして改めてこの観音講を務めさせていただきます。本務のお寺があって兼務という事でこれまでは特に肩書もなく法類という形で来させて頂いておりましたが、これからは住職の上に兼務という肩書は付きます。また宗教法人という括りの中では代表役員という形でこのお寺の代表ということになりますので今後ともよろしくお願いしたいと思います。
4月に入りまして急に暖かくなってまいりました。今日も所によっては夏日に様な事でございます。午後からはずいぶん暖かくなって来るんだろうなと思います。こういう中でまた午後からは改めて兼務住職に就任させて頂いたご挨拶の法要もこちらでさせて頂こうかと思っております。本当に今日はこういうおめでたい日になればと思っていたのですが、ニュースを見ますと今日はイランからイスラエルの方にミサイルや無人機が発射されたという様な事が流れておりました。大変心の痛い話題です。もしかしたらこれでまた国と国だけでなくて世界中を巻き込んでしまう様な大きな大戦のきっかけになってしまうじゃないかという事も少し恐れているところでございます。
仏教では一番最初にこの仏教を説かれたのはお釈迦さまで御座いまして、よく耳にする言葉の中に【仏の顔も三度】という言葉がございます。どこからきた言葉かと申しますと、お釈迦様がまだ悟りを開かれる前に釈迦国の皇子としてこの世に生を受け、それから皇子の位を捨て修行に励み悟りを得られていわゆる【ブッダ】となられたのですが、自分の生まれ故郷である釈迦国をコーサラ国の国王が攻めようとするのを思い止まらせようと三度までは現れて戦争を止めようと話をされた。しかし四度目にはお釈迦様は現れず釈迦国は滅ぼされた。お釈迦様は争いというものを嫌われていました。
争いとか戦とかはすべて【恨み】という思いが新たな【争い】のいつまで経っても終わらない連鎖。三度まで仏の説得を聞き入れず釈迦国は滅んでしまった。【恨み】を消し去る事は本当に人にとって難しい事ですが、それをすることが本来の【悟り】に至るということでございます。
今のご時世のイランとイスラエル、ガザ地区でのハマスがイスラエルに対して起こしたテロに対する報復として、イスラエルがハマスを殲滅しなければこの争いは止まないんだという主張のもと、どんどん【恨み】の連鎖で今の状況があるのかなと思います。ま、こういった社会のご時世を見ていますと改めてお釈迦様の教え。そしてまた伝教大師も『恨みを持って恨みに報ゆれば、恨み止まず。得を持って恨みに報ゆれば、恨みはすなわち尽く』と言われております
ここに居て我々が声を上げても中々届かない状況でありますが、どのような事態になるか分かりません
50年100年前に戻らないように今生きている私達がしっかりと2000年3000年前の人たちの教えをしっかりと受け継いでゆくことが大切なのかなと思います。
これから新ためて皆様と共にこの浄福寺をお守りし行きたいと思います。
この平和な社会の状態の中で励んでいければとあらためて思います。
本日もよくお参り頂き有難う御座いました。
令和6年3月17日 観音講勤行後
本年は3月11日が東日本大震災から13年目、仏教では14回忌という事ですが、天台宗としては13回忌の昨年大きな法要を行っておりましたが、私、今年は天台総務庁で仕事をしている関係もあって3月9日から11日にかけて岩手県と宮城県のお寺に行ってまいりました。
岩手県【中尊寺】は天台宗のお寺でも東北地方でも一番大きなお寺、特に世界遺産に指定されてからは大変多くの観光客が来ております。今年は東京国立博物館の方で【中尊寺展】をやっておりまして、そこでは中尊寺金色堂の再現をしているという事がございます。
宮城県石巻市からもう少し行った所に在る気仙沼の【観音寺】に行ってまいりました。津波前は1500程の檀家があり200から300減りましたが減っても10000を超える檀家を抱えたお寺です。
その2ヶ寺に行って法要、法話、布教を行って参りました。観音寺では総代さんと常任委員の方々にお話をさせて頂きましたが、総代だけでも20人を超える様なお寺です。私は世話役の立場でしたが内容については来月号の天台ジャーナルに載っております。
お坊さんが話をすると同時にお坊さんも震災当時の様子をお伺いしたところ。
内陸部の中尊寺、遠野市、の方ではその地域がボランティア活動の拠点なり活動されたとのことです。
この辺も東南海地震で和歌山等の沿岸部が被災した時、高速道路の通る内陸部としての利を生かして補給支援の基地となろうかと思われます。
津波の被害はかりクローズアップされがちですが、遠野市などの内陸部も被災地であるにも関わらず更に厳しい被災地の方々の支援に当たらなければならない自治体となります。自分たちの復興よりも更に厳しい状況に置かれている方々の支援をされている方々が、居られる事をこれからも各地でお話させていかなくてはいけないという思いでおります。
暖かくなりこれからは桜の季節となります。ウグイスの声も今一つだはありますが能登半島地震の被災者の方々にも思いをはせながら私達は日々のお勤めを果たしてまいりたいと思います。
令和6年2月18日 観音講勤行後
本日は2月18日ですが、2月と言うのは仏教な中では大きな記念日ではないのですが、大きな締めと言う日が有ります。それが、2月15日(涅槃会)と言う日です。仏教では4月8日の(降誕会)「お釈迦が生まれた日」花まつりと言う行事をよくやっておりますが、この日と12月8日の(成道会)です。この3つがお釈迦様に関係する日で色んな行事を各地で行っています。降誕会というのはお釈迦様が生まれた時、この様に指を上と下に(天上天下唯我独尊)、このお釈迦様の生まれた姿に甘茶をかけます。また、12月8日の成道会この日はお釈迦様が悟りを開かれた、菩提樹の木の下で悟りを開かれた。そして2月15日、涅槃会と言うのはお釈迦様がこの世で人と言う(ゴータマ・シッルダ)と言う方が亡くなられた命日、お釈迦様が亡くなれた時にお弟子さんたちに自分はこの世からこの世に似もって生まれたお魂だった言う人の器からは一旦抜けると言いますが、死と言ったものを迎える、それから自分は本来の意味の仏となる仏としてお釈迦様として別の世界で自ら得た悟りを人々に伝えていく、お釈迦様がいらっしゃる所は、霊鷲山言う山の上の頂きの方にいらっしゃるとの事です。
後に天台宗を中国で開かれた天台智者大師智顫と言う方、そして、その天台智者大師の師匠となられる南岳大師慧思と言う方、のお二人がお釈迦様の説法を霊鷲山で聞いたと、そして、南岳大師の生まれ変りと言う風に言われているのが、日本では聖徳太子が法華経の教えと言うものを取り入れられた。そして、法華経をもっと広く一般に広く伝えて行こうと言われたのが、伝教大師最澄、この方が比叡山で修行して総本山比叡山延暦寺を作り天台宗が生まれてくる訳です。2月15日お釈迦様がこの世を去られたその時、その様子が涅槃図(ネハンズ)と言うかたちで書かれています。色んなお寺に涅槃図と言うものが有りますが、お釈迦様が亡くなる時に、お坊様であったり、他の世界にいらっしゃる菩薩であったり、仏様であったり、如来様であったりとかがこのお釈迦様が亡くなる所に集まってこられる、またこれは人だけでは無くて動物であったり、また鬼(異形な姿をされたかた)その様な方たちも集まって来て、お釈迦様の涅槃の姿を見て嘆く者、喜ぶ様な姿を描く。
何故喜ぶのか? お釈迦様にとってはまた一つの段階を経ていよいよ次の段階、仏として、釈迦如来として改め仏教を広めていく事を喜んでいるという事です。ええ~、お釈迦様が亡くなると言っても、お釈迦様は常に世界、世界と言っても私たちが暮らす世界は娑婆世界、この娑婆世界では無く別の世界に今はいらっしゃる、常にお釈迦様はいらっしゃると法華経の中で説かれておられます。
ですから、お釈迦様は亡くなった訳では無く常にいらっしゃる、別の世界にいらっしゃりますが、私たちの心の中にお釈迦様はいらっしゃいましてそれを仏教という教えの中で何千年と教えを受け継いでいるという事です。天台宗あったり、浄土宗であったり、浄土真宗あったり、各宗派が教えを受け継いでいるという事です。
また、2月15日、奇しくも講員のO様の命日いう事でございます。この日に亡くなられたという事は何かのご縁があったのかも知れません改めてご冥福をお祈り致します。拙い話ではありましたが、法話をさせて頂きました。今年は寒くなるのか、暖かくなるのか?これから全体的に暖かくなってこれから季節が変わって行きます。ただ、インフルエンザ、コロナウイルスが流行しております。お体には十分お気をつけて下さい。本日もよくお参り頂き有難う御座いました。
・令和6年1月17日 観音講勤行後
改めまして、おはようございます、初めて皆様とお念仏を唱えさせていただきました。皆様綺麗にそろって唱えて頂き、さすが深川観音講様だと思いました。
お釈迦様の教えで諸行無常と、おっしゃっておられます。諸行(諸々に行う)無は(ない)常は(つね)皆様もご存知かと思いますが、森羅万象、いろんな事が起こるわけですが、こうやって植物も育っていたり色々我々目にするもの全て常では無いということです。常では無いという事は留まる事が無い、ずっと一緒で有るわけでは無いという事、どんどん変わってゆく、我々人間もその様であります。
一つ一つ正月を迎え、歳をとっていく、これを積み重ねて行くと歳をとったのかと思うようになる
我々自身も変わっていく今日、この日、今の瞬間という事は二度と無い訳です。その様な事で我々はいろんな事を見ます。お正月に能登半島地震があった訳ですが、あれも一つの諸行無常になる訳です
自然のもの凄い力、我々が見えないところで色んな力が働いている。しかし我々は目に見える事は良くわかる
感謝するものは感謝するのですが目に見えないものは何も思わない、我々こうやって生きている事は周りの空気酸素があって我々が生きている訳であります。そのことについて「感謝する」と思う事なくあたり前の事の様に思っています。しかしながら何かあった時、ふと酸素があって良かったなあと感じる事があるかもしれない。
我々は物が見られる事で物事に執着してしまう事がある。例えば新車を買います、乗らなくても自分の手に入ればその時点で車の価値は下がってしまいます。それから車を使う事により車は、どんどん傷んでくる様に物事は変わってきます。でも人間というのは・・・
隣の家に蔵が建ちました、そしたら自分の家には何か建ちますか❔ 腹が立つ、それはどうしてかと言うと人間は皆執着するからです。「ああ~いいなぁ、わしもあれが欲しいな」色んな事を考えてしまう、でも何れは壊れて無くなってしまうという事です。
綺麗な女性がいます「ああ~綺麗やなあ嫁さんにしたいなあ」と思うかも知れませんが、この人も何れは年老いてしまうここに居るおばさんと同じ人なのです。だから物事に執着しない、般若心経でも説いていますが、「色即是空」色即と言うのは色、すなわち是空はから、色と言うのは物です。物には色が付いているので我々にはどの様な物かが分かる。その物に執着してはいけないという事です。何れは(空)無くなると言う事、電化製品でも最初新品でも壊れたら無くなる、だから執着はしなさんな、これが仏様の悟りの一つでもあります
物は大切にしなくてはいけないが執着をしてはいけない、例えば高価な物を他人に貸して壊されたとしても広い心をもって、形ある物は何れか壊れると思い許してあげる、執着しない、なかなか難しい事であります。出来ませんけど皆様もその様な気持ちをもって頂ければと思います。これがお釈迦様のおっしゃる諸行無常で御座います。我々もこれから生きていく訳ですけど何かあったら、この様な事を想いだしてください。
令和5年12月17日 観音講勤行後
11月から12月において天台宗では祖師先得鑚仰大法記念札を送らせて頂いております。既にこのお寺にも届いております。
もう、ご承認の方もおられるかとは思いますが、正面の上に掛かっております「傳教」の額と手元にお札があります。この「傳教」の額ですが、これは明治天皇が根本中堂に御納めなられました。根本中道の正面にこの額より二回り大きな「傳教」と言う額が掛かっておりそれのレプリカです。今回、根本中堂回廊の改修工事で出ました銅板をこの様な形にして加工したものです。これは、平成24年から始まりました、祖師仙徳鑽仰大法会元々、10年の予定で行う予定だったのですが、期間中に東日本大震災復興があったりしたとか、また熊本の地震災害が有ったりとか、後半には新型コロナウイルスの流行等々色々有りましたので結果的には11年間という長い期間での大法会と言うのは宗を挙げての行事であった。その様な中で一番大きな目玉というか、大きな事業として平成から令和にかけて根本中堂の大改修です。現在も続いております。
今後、令和8年か9年の落成されるのではないかと思っています。この様に長い事業ではございますが、一旦、今年の3月30日を以て大法会は終わりましたので、そのお礼として今回、額と、木札が送られてきました。この木札につきましては、平成の大改修比叡山延暦寺「奉修薬師如来教蜜供佛奉興隆如意吉祥祈祷」と書いてあります。この木札ですが、材料に使われている木はサワラ材と申しまして、延暦寺の屋根がこのサワラの木が何層も何層も積み重ねられています。この様な屋根を「サワラ葺き屋根」と申します。根本中堂の屋根を守り続けて来た木を使ってこの様な形で送られてきました。祖師仙徳鑽仰大法会だけではなく、各お寺においてもこの新型コロナにて、年中行事や法事が一時期ストップしてしまいました。もともと大法会の期間中比叡山の根本中堂にございますこの「不滅の法灯」ですが、根本中堂を入られたら3つの火が灯っています。
この「不滅の法灯」を全国の天台宗神院へそれぞれお参りしながら届けて行く全国行脚が展開された。令和の2年4月から10ヶ月か1年位をかけて行う大きな企画が有ったのですが、こちらの方がコロナの、令和2年の4月から始まった緊急事態宣言が重なってしまいまして結果的には見送りとなってしまいました。この、根本中堂が落成されるあかつきには同じ様な事が行われるのではないかと思われます。その際には「不滅の法灯」がこの比叡山から日本全国、たぶん滋賀の方は最初に回るのか?最後に回るのか?出発かゴールどちらかになるのではないのかと思います。その様なかたちで回ってきます。天台宗でやると言うよりも今回は比叡山延暦寺が中心となって色んな行事を行うこととなります。
その際には皆様とともに延暦寺にお参り頂きその際には新しくなった根本中堂をご覧になって頂きたい。また、今行くのも面白いもので普段、延暦寺の下からしか見ることが出来ませんが今だったら中に入ってサワラの屋根の葺き替え工事作業が見られます。その様なかたちで延暦寺を参拝して頂くのも良いのかと思います。いずれにせよまだまだ、この「平成の大改修」令和の8年~9年位迄かかるという事で時間がかかる工事です。
もう師走という事で今年も半月という事になりました。外を見ますと、この間迄は紅葉が残っていたのがみんな散ってしまいました、もう、そろそろ冬の装いとなりました。残る期間まずは体調に気をつけて、この1年を難なく終えて下さい。また、来年は龍の年です。新たな年を迎えたいと思います。今日もお詣りいただき有難う御座いました。
令和5年11月11日 観音講勤行後
11月は天台宗では大きな行事が有ります。11月24日が中国で天台宗の礎となる中国天台宗を開かれた天台大師智顗という方の命日で、天台宗ではこの24日前後に天台会という法要を行います。甲南部では11月19日に法要を行いますが今年は嶺南寺で行います。
天台大師智顗と言う方は摩訶止観(まかしかん)という書物を書かれまして止観という修行法を後世の方に教えられているのですが、止観というのは言い方を変えれば駄弁止観と禅宗で有れば座禅であり、真言宗では阿字観と言います。言い方が変わりますが座禅を組んで周知をするときに足を組んだ時にどういう風に周知をしていくのか、それぞれのやり方が違っていて、禅宗であれば壁に向かって座っていく、そして天台宗で有れば壁に向かうのでは無くて、どちらかと言うと皆が同じ方向をなんですが、畳の1畳先を見るように座るのだと私たちは教えられた。座禅を組んでいる間、頭の中どういう思いを巡らしているのか禅宗ではよく無になる、天台宗ではどうするのか幾つか有りますが数息観と言って頭の中で数を数える。
どういう風に数を数えていくかと言うと座禅と組んでいる間、穏やかなゆっくりといた息になりますので吸って吐いて「ひとつ」、吸って吐いて「ふたつ」で自分の息の数を数えていくそういう数息観、それを繰り返すことによって無になるというよりも雑念を払うというほうが近いと思うのですが、頭の中をクリアにしていく、それが天台でいうところの止観ということになります。この数を数える以外にも、ただ吸って吐いてという息に集中するというやり方もありますが座禅を組むというのは仏教の中では一つの修行法としていろんな宗派でもやっています。
天台大師の話に戻りますが、その摩訶止観の中でこの座禅といいますがこの止観の修行法に四つの修行法、四種三昧という形で四つの修行法(常行三昧・常座三昧・半行三昧・非行非座三昧)があります。まず、常行三昧というのは、念仏をとなえながら、本尊阿弥陀仏の周囲を回り続ける修行法です。これを三か月以上繰り返す修業が比叡山にはあります。また、常座三昧というのは常に座るということで常に座禅を組むこれを百日以上繰り返すいずれの修行についても寝る時も同じ姿勢でいるということで座っているときはそのままうつらうつらと足はしびれますが眠れるのですがじゃあ立っているときはどうするかとういうとお堂の中にちょうど手すりみたいなものが平行に走っていましてそこに両手をかけてそこの手すりに体を預けながら眠る。ですから、横にはならない。そういう修業を繰り返す。
比叡山に行かれた際に西塔の釈迦堂と浄土院の中を間ちょうど西塔の駐車場から釈迦堂の方に向かっていく間に弁慶の「にない堂」という二つお堂が並んでいる。行った方はわかると思うのですが、この二つのお堂が一つ常行堂、ひとつが法華堂(常座堂)ということで、それぞれ比叡山で修業されているお坊さんがここに篭もって修業されるところとなっています。半行半座三昧と言うのは歩くのと、座るのを組み合わせる。そして、非行非座というのは歩くのでもなく座るのでもなく、と言うことで、一体どういうことをするのかと言うと逆に修業らしい修行は普段しない普段の生活の中で常に仏さんを心の中に思い描く。また、悟りに近づくための心を作っていくということを非行非座三昧ということで、四種三昧それぞれある、それぞれあるすべての精神を持ち合わせたのもが比叡山でいうところの十二念籠山行、千日回峰行であり、そして、律僧と言って浄土院に十二年間篭もる修業が有るのですが、そういう修業されている方というのはこの四種三昧の精神をもって修業をなされている。特にこの千日回峰行というのは歩いている千日間というのは朝から、朝二時に起きて身支度を整えて毎日の行に出立されるのですが中でも一番厳しいのが京都大廻りと言って一日80kmぐらい歩く行があるのですが、その行の間はほとんど寝ている時間がないと聞いております。そういった行と繰り返して十二年籠山をされた方、千日回峰行者は阿闍梨と言うように一般に呼ばれますが十二年籠山でもその浄土院に篭もられた律僧さんと呼ばれている。どちらも天台宗の中でもそう何百人もいるわけでもなくて限られた人だけがそういう行をされているということであります。なかなか同じようなことは、私たち同じ坊さんでも同じ経験というのはできないですから、ただこの四種三昧という教えの中で私たちの普段のいろいろの行動の中に生かせるということは当然ございます。やはり、なんといっても心を落ち着かせる心をいろんな日々、特に忙しいような状況になってきますと家庭内で、ひとつのことに心の中とらわれてしまう、そういう状況になると思うのですがそういった時にこそこの四種三昧ということが行という物を思い出す特に座禅の中で立ったままでもいいですし椅子に座った時でもいいですけど少し心を落ち着けながら自分の息を数えてみるひとつふたつとなかなか百とか二百とか数えるそれまでにいろんな雑念が入ってきて難しいですがそういう雑念が入ってきてもいいからそういうことを繰り返している間に心の中が穏やかになってきてそして精神が研ぎ澄まされていく。そういうことをまた繰り返しながら一つの思いにとらわれないよう自分の思いを常に俯瞰するといいますか、別の角度から見れるように心がけてそれがその止観というのにつながっていくなと思います。
令和5年5月7日 観音講勤行後
仏教用語で行雲流水、幾つも流れる水と同じ様な意味で、変幻自在、変わり身の素早いわれわれ人間は流れに沿って変幻自在に変われるのかと言うことなのですが、時には我田引水に振り回されてしまう事も有るのですが、出来ることからやっていくべきで有ると言うことです。
行雲流水に似た言葉に無為自然、有るがままと言う言葉がございますけれど、勝手気ままと受け止める人が多いようでございますが、世の中難しい言葉が飛び交って切れてしまっているところも有るかもしれませんが、やはり無責任の人がそう言う事を言う。
それはそうといたしまして、自然の木々といえども環境に合わせて自分の体を変えて、やっているわけでございます。それでも甲斐なく枯れてしまうことが有る。かといって枯らした木が責められる事は恐らく無い。それはなぜかというとそれが自然のルールで有ると思います。ルールと言うのは満場一致の物でございましてそう簡単に変わるものでは無い
山川草木悉皆成仏と申しますが自然にもやはり心が有り学ぶべき事が有る。
令和5年4月16日 観音講勤行後
仏教の言葉に夢幻泡影(むげんほうよう)がありますが、これは夢・幻・泡・影で掴みどころの無い物の象徴、この掴みどころの無い物の味わいと言うと物も有るという事で御座いまして、例えば形のあるものを曖昧にしていく。曖昧なものを形にしていく作業が有ると思いますが、みなさんご存じのピカソという画家のキュピズム、形あるものを分解して曖昧な絵にしたものでございます。それとは逆に果物・野菜等の食材を組み合わせて顔の形にする騙し絵がある。また、ルネ・マグリット(ベルギー人画家「イメージの魔術師」)がおられますが、その方は煙草パイプの絵を克明に描かれましてその下に、これは煙草パイプでは無いと書かれている。何となくユーモラスな絵ではあるのですが、こう言ったように曖昧なものと理論的もの、この二つを味わいつつ生きていきたいもので有る。
令和5年2月19日 新講員を迎えて
本日は入講式と言うことで、新講員さんについては初めての勤行大変お疲れになったと思います。
我々、凡人は何十年やってもやはり疲れるものでして・・・・
これから程よく疲れていただきたいと思う次第です。
疲れるということはそれだけエネルギーが出ている訳でございまして、それが何らかの「行」になると思います。
今月6日にトルコ・シリアで大きな地震が発生しまして、多くの方がお亡くなりになられて心痛に堪えない訳でございます。
トルコと日本は友好国ということですが、それは1890年にオスマントルコの船が日本の和歌山の東牟婁郡というところにやって来てしばらく停泊していました。
用件が済んで帰る間際に台風に遭遇、船が座礁しまして多くの方が亡くなられた。その時に地元の串本町の方々が身命を賭して救助をしたと言われています。 69名の方が救われた訳ですが、それが友好国の起源になってその関係が今も続いている訳でございます。こう言う痛ましい事故と言うのは嘆かわしい事ですけれども、それによって結ばれる絆に一縷の光明を見出したい。
こう思う次第です。
・2月3日 節分・星祭にて
本日は節分ということで豆まきをするわけですが、世の中には豆でも撒きたくなるような人がおるもので
す。
昨年のことになりますが甲賀の??クラブの機関誌を作る業者がやって参りまして協賛を募って来ました。
いろんなお寺・神社を回っていて、私としては断って悪い評判が立っても困るので甲賀の??クラブとはど
う言う意味やと思いつつ受けてしまった訳で、その結果として見事に騙されたということで反省していま
す。
身から出た錆と言うことで悔しさを押し殺していた訳です。
ただある日またもや同じ人が来て、同じことを言いだしたので信じられないと思って今は忙しいので「忙し
い」と突っぱねたらびっくりしたような顔をしてすごすごと帰っていったけど、これは塩でも撒かないけな
いかと真剣に考えたのですが、今思い返すとその方は、私の虚栄心を戒めてくださった菩薩様に違いないと
思って感じている訳です。
本当の鬼というものは自分の心の中に住んでいるものではないかと思った次第です。 合掌
・令和5年「新年のご挨拶」
春寒のみぎり、皆様におかれましては、ご健勝のこととお慶び申し上げます。
平素は、当山に対し格別のご厚情を賜りありがたく厚くお礼申し上げます。
内憂外患の中での年明けとなりましたが、仏教的に申し上げますと、平安時代から末法の時代(世
相の低迷期)に入ったとされているようです。平安時代から現代まで持ちこたえてきた我が国であ
るなら、我々のご先祖様も懸命に努力されてこられたのだなぁと、感謝の念が沸いてまいります。
「温故知新」今こそ伝統の中から何かを見出しつつ、先人の恩にわずかでも報いてまいりたく存じ上
げる所存でございます。
合掌
・令和4年12月25日
伝教大師のお言葉に『法界の衆生と同じく妙味を服せん』と言うのがありまして、これは「悟りの喜びを皆
で分かち合いましょう」と言う意味だそうです。
人と言うのは何かを成し遂げて成功させたときが喜ばしい。
逆に何かを失敗すると最も落胆する訳でございます。ですから、ある程度の何かの感受性が備わっていると
言う風に言える。
誰とでも分かり合えるかと言うと中々難しいもので、「何を考えているか分からない」「逆のことを考えて
いるのか?」「その逆を考えてくれれば元に戻るのに・・」
そうではなくて、言うことが裏腹になるだけですから、ご注意いただければと思います。
人を知る上で大切な事は、その人の考え方とか好みを知ることが重要でございますけども自分自身で分かり
やすい人間を演出するのも一つの方法かも知れません。単純かつ深淵と言うのが良いわけでありますけれど
も、落語でも同じ題目で語り手によって質が変わってくる。
人と言うのは初めから深淵であるのではなくて長年の研鑽に依ってそういうものがあるわけで、我々もそう
言ったものを目指したいと思います。
合掌