浄福寺の沿革

浄福寺は788年に天台宗開祖の伝教大師(最澄)が延暦寺根本中堂を建てるため、用材を求めて深川の地に来られた時、色にがあり、霊地として開かれた寺が現在の金光山浄福寺である。 ご本尊は33年に一度の本開帳や中開帳の時にしか拝見できない秘仏の十一面千手観音坐像で国指定重要文化財になっている。

①   本尊 十一面千手観音坐像で(国指定重要文化財)で、高さ102.3cmの寄木造り

      鎌倉時代初期の作 で全身に漆箔が施されている

②   鰐口 令和5年に約460年振りに新調いたしました

    以前の鰐口には寛文5年(1665)の銘があり    

③   釣鐘 昭和廿三年(1948)新得梵鐘鋳入の銘文あり脚注1

    (寛延2年の鐘は昭和16年戦乱勃発受命にて供出)

④   大師堂本尊について

慈恵(じえい)大師(たいし)を本尊として祀られている。

第18代天台座主(ざす) 良源(912-985) 比叡山横川で修行して延暦寺の堂舎の再興や教学振興などに尽力され、その業績から朝廷より、慈恵大師の称号を与えられる。     また、正月3日に没したことから「元(がん)三(さん)大師」大師の護符には魔を滅ぼす力があるとの意味で「魔滅(まめ)大師」或いは、疫病が流行した際、良源が座禅をすると、角が生えた鬼の姿に変身。その姿をみてお札にして配ったところ病魔が恐れて退散したと伝わることから、「角(つの)大師」とも呼ばれ観音菩薩の生れ代わりとして幅広く信仰されている。

  良源 = 慈恵大師 (元三大師、角大師、豆大師)とも呼ば   れていた (長浜出身)

⑤   小社

上座(右)富士権現の宮 天台宗では山岳修験の開祖   
 役行者を信仰、霊峰富士を重んず。回峰行はその流れをくむ。

中位 山王権現の宮 比叡の山の神、大山咋神(おおやまくいのかみ)と三輪山の神、大物主神(おおものぬしのかみ)との合体仏。最長の考案。

下座(左)歳徳神 右、日吉権現の使者。元来は猿西人。後、神猿(まさる)と融合  

⑥   宝篋(ほうきょう)印塔(いんとう) = 供養塔

寳篋印(ほうきょういん)陀羅尼(だらに)経(きょう)の経筒(銅板経)が納められている・・・宝暦13年(1763年)

脚注1
南無南無観世音菩薩

昭和十六年戦乱勃発

受命拠出翌年臘月擧

式典訣別爾来数星霜

鐘楼空立幸哉四海波

静遇平和日本建設嘉

運佛天冥助檀信徒心

願凝今新得梵鐘鋳入

鐘供養日御者歓聞者

皆泣鳴呼鐘聲韻々永

響遠近


脚注1
銘日
 響祇園夕 令會無常
 秋蟲哪々 春鳥嬰々

 無聲孔月 有形呑
 一音平等 四時是正

 法輪永轉 濟世度生

 醒長夜睡 點破無明
         會山識

昭和廿三年十月現董圓守代

大阪日立築港造船所鋳造